スポンサーサイト
一定期間更新がないため広告を表示しています
| 2020.01.26 Sunday | - | - | |
|
メリエスの素晴らしき映画魔術
1902年にフランスの奇術師 ジョルジュ・メリエスによって製作された 映画創世記のSF映画 『月世界旅行』 この短編(当時の人にとっては長編)を併映するということで、 ドキュメンタリー映画 『メリエスの素晴らしき映画魔術』 を観てきました。 映画監督のミシェル・ゴンドリー、ジャン・ピエール・ジュネ、 俳優のトム・ハンクスらのインタビューを交えながら、 メリエス氏とその作品について紹介していく、というもの。 彼がどんな人物だったのか、どのようにして映画にのめり込んでいったのか、 ほとんどのフィルムが消失していること、 近年発見された貴重なフィルムが かなり劣化していたこと、 それを 気が遠くなるような時間をかけて復元するまでのいろいろ。 私は、110年前の人々のハツラツとした表情や動きに、目を奪われました。 そして、観客を笑わせたり、アッと驚かせることに夢中だったメリエス氏の想いや、 誰よりも自分が楽しんでいる 子供のような無邪気さが、映像を通して伝わってきました。 「『月世界旅行』 は 今でたとえるなら、 『アバター』 級の想像力と技術を駆使した野心作」 というコメントが出てくるのですが、本当にその通り、 当時の人々にしてみたら、この映画は驚きの連続だったのだろうと思います。 後半、話が現代に移り、復元に至るまでの過程の説明が続き、 ちょっと眠くなってしまった本編 『メリエスの〜』 が終了。 いよいよカラーで復元された 『月世界旅行』 の始まり、始まり〜! と、期待も高まったのですが。
愛を読むひと
『ものすごくうるさくて ありえないほど近い』 を観た後、
スティーヴン・ダルドリー監督作品で 未見の作品があったな〜と思い出し、 随分前にレンタルした 『愛を読むひと』 をようやく観ました。 原作は読んでないけれど うっすらと あらすじは予測できていたので、 物語の展開にさほど衝撃はなかったのですが、 それより何より 前半の軽さと 後半の重さのギャップに唖然としました。 後半 シリアス路線でいくなら、 前半 もう少し 「愛」 を深く描いてほしかった。 なんで、あんな安っぽい官能小説 もしくは B級ポルノ映画みたいになっちゃったんだろう?? 舞台は、第二次世界大戦後のドイツ。 15歳の “ 坊や ” ことマイケル(※)と、21歳も年上のハンナは、 知り合って 程なく 肉体関係を持ちます。 ※原作では ドイツ語読みの 「ミヒャエル」 という名前だが、 映画では 全編英語であるため、英語読みの 「マイケル」 としている。 結構 あっさりと、あまり ためらうことなく脱いじゃって。 「一瞬で恋に落ちた」 というよりは、ただ性欲に負けたという感じ。 で、その後も二人は、ズルズルと愛欲生活に溺れていくわけです。 初めて女を知った “ 坊や ” にしてみりゃ、そりゃあ 夢中になってしまうでしょうよ。 でも、「毎日 学校終わったら、急いで帰ってハンナと情事」 って・・・ どうなの? あと、「○○○するのは、本を朗読してから」 って、提案するハンナも どうよ? しかも、マイケルが 『チャタレイ夫人』 の赤裸々な性描写を読み始めた時、 ハンナが 「やめて。猥褻だわ」 と真顔で言ったシーンは、ツッコミどころなの!? 言ってることと やってることが チグハグだよ、ハンナってば!!(苦笑) まあ、この “ 朗読の時間 ” を重ねることで 二人の心の距離は徐々に近づき、 後半 この行為が物語のキーにもなっていきます。 そして、自転車で一泊旅行に出かけたり、一応 恋人らしいこともするのですが。 それで 「互いに深く愛し合っていた」 というには、あまりにも薄っぺらいというか。 前半は、ただの熟女(?)好きの少年と、 若い男の裸体を見てムラムラしてしまった中年女の色恋モノにしか見えなかった。 (私はハンナと同世代なので、中年とか熟女なんて言いたくないけれど) 後半は、見応えがありました。 それだけに、前半が・・・ 残念っ!
わたしを離さないで
原作の小説を読んだ時から映像化が気になっていた 『わたしを離さないで』 を
DVDでようやく観ました。(1ヶ月くらい前にネットでレンタルした2枚のうちの1枚です) あらかじめストーリーは分かっていたので、 内容に衝撃はありませんでした。 (というより、原作を読んだ時にも さほど衝撃はなかったんだけど) 第一印象は、小説の中の世界観を 忠実に表現しているなあ、ということ。 原作者のカズオ・イシグロが 映画製作に携わっているのが、大きいかもしれません。 小説を読んだ後のブログの記事にも書きましたが、 おそらく作者が書きたかった核は、この衝撃的と言われている設定そのものではないと思います。 今回映画を観ることで、抑えた表現はカズオ・イシグロの特徴であることを感じました。 それを映像で継承しているところは評価すべきでしょう。 そうなると、欲が出てくるといいますか、私がアマノジャクなのかもしれませんが、 台詞のないシーンを もっと長くしたら もっと良かったのになあ、と感じました。 原作もそうでしたが、特殊な設定のもと話が進むので、 どうしても言葉で説明するシーンが多くなるんですね。 でも、この映画には美しい風景の描写も多く、それが叙情的で、 特殊な環境で生まれ育って消えていく彼らの悲しみを 一層深めるのです。 緑豊かな寄宿学校、イギリスの田園風景、誰もいない静かな浜辺、 夕暮れの桟橋、遠くまで続く繊細な陸橋・・・等々。 あと、台詞のない時のキャストの表情も良かった。 彼らの人生、運命、その想いは、言葉で理解するのではなく、 自分の身に置き換えて、想像した時に感じたものが真実だと思うので。 ただ、非常に残念だったのは、原作で私が一番切なくてジ〜ンときた 「主人公キャシーが、部屋で一人カセットテープを聴く」 というシーンが、全然違うイメージになっていたこと。
【タルコフスキー生誕80周年映画祭】総括
ユーロスペースで開催された【タルコフスキー生誕80周年映画祭】
『惑星ソラリス』 『ストーカー』 『サクリファイス』 の3本しか観られませんでしたが、 それらを観て、私が強く思ったことは、タルコフスキーは 映画監督というよりも “ 映像詩人 ” という表現の方がしっくりくるな、ということでした。 あと、3作品しか観てないのに 決めつけてはいけないけれど、 タルコフスキー監督のエンディングにおける感性と 私の感覚とでは 少しズレがあることにも気づきました。 「ああ、これがラストシーンだな」 と思っても、映画は終わらないのです。 (しかも、私がそう思ってから、結構長々とシーンが続く・・・) だから、見終わった時の余韻が、自分の感覚から どんどんズレていくんですね。 あとは、カラーの映像と セピアの映像が交錯するのも タルコフスキー作品の特徴の一つですが、 その切り替えパターンというか、意図を探ろうと試みるも、まだ解明できておりません。 (例えば、夢と現実とか、過去と現在とか) それから、思うに これまでに観たタルコフスキー作品3本には 必ず “ 謎 ” が付いて回るんですね。 答えは明示されないけれど、観る者に解釈のような感覚を残す。 それは、独特の感性で撮られた美しい映像や、 哲学的だったり 詩の引用や暗喩を用いた台詞の中に 何かヒントやメッセージが隠されているように思うのです。 だから、観る時は 必死で台詞を追うわけです。 一つ一つの映像に集中するわけです。 それが、私の場合 裏目に出てしまうというか、 本来はシンプルな物事を かえって分かりづらくしてしまうというか。 (『サクリファイス』 が顕著な例でした) きっと 単純でライトなストーリーなら サラッと分かる人間関係や設定が、 様々な台詞や映像が重なっていくことで 意識の下に埋もれてしまうというか。 事前に内容を熟知して映画を観るのって、私は好きじゃないんだけど、 タルコフスキーに関しては 例外にしないとダメなのかしら? もしくは、2回以上観ること必至とか?(笑) しかし、特集上映も 今日で終了・・・ トホホ(涙)
ミニトマトとパプリカのマリネ
毎年恒例、お盆に 兄一家が泊まりで遊びに来ました。
甥っ子・姪っ子たちは、上から 小6、小4、小2、そして 2歳(!) 4人は、育ち盛りの食べ盛りなのであります。 毎回、「何を作ろうかな?」 「何を出したら喜ぶかな?」 と考えます。 あとは、今は父と二人暮らしで いつも和食中心の定番メニューが多いので、 普段 食卓に出さないような物も作りたくなります。 そんな風にして献立をあれこれ考えていたら、 お盆=精進料理ということが スッカリ頭から飛んでおり、 前日になって 慌ててメニューに煮物を追加したのでした・・・ (ご先祖様、ごめんなさいっ!) 写真は、ミニトマトとパプリカのマリネ。 某レシピ投稿サイトにあったものを参考に作りました。 網で表面を真っ黒に焼いて、湯剥きしました。 トマトは、20個くらい湯剥きしたでしょうか。 (普段なら絶対やらない。苦笑) 野菜がフルーツみたいに甘くなり、 マリネ液に漬けると甘酸っぱくなって、夏にピッタリ。 写真に撮ったら、フルーツのコンポートみたい。 歯ごたえも、缶詰の桃みたいでジューシーでした。
ロンドンオリンピック閉会式
ロンドンオリンピックが終わりました。
正直、「やっと終わった」 という感じです・・・ 私が観たのは、寝付けなかった日曜の深夜(月曜の朝方)にやってた男子フェンシング団体戦、 フジのツタンカーメン特番の前にやっていた 女子バレー3位決定戦くらい。 (延長になると後番組の開始時刻が変わってくるため) 期間中は、スポーツニュースはもちろんのこと、 通常のニュースでも トップニュースはメダルの話題ばかりで。 あと、同じ種目を NHKと民放で放送するのは 勘弁してほしかったです・・・ さて、閉会式。 開会式に負けず劣らず長かったですね・・・ (いずれも 『梅ちゃん先生』 の放送時間がズレまくりでした) 閉会式は、イギリス版 『懐かしのメロディー』 という感じで、 “ あの人は今 ” 的なバンドの面々が続々と登場。 あっちを出したら、こっちも出さなきゃ、で 大変だったんでしょうなあ〜。(紅白みたい) 中でも、スパイスガールズの再結成には 苦笑してしまいました。 「夫のベッカムが開会式に出て、なんで私は出られないわけ? だったら、閉会式に出てやるわ!」 という 出たがり(?)妻のヴィクトリアを想像してしまったから。 「オリンピックに合わせて再結成しました」 って アンタ、もう閉会だよ!(笑)
ツタンカーメンの謎
フジテレビの土曜プレミアムで
『独占解明! 誰がツタンカーメンを殺したのか!? 〜謎の少年王・悲劇の生涯』 という、長〜いタイトルの特番が放送されました。 エジプトまで取材に行ったナビゲーターが 西島(秀俊)さんだったから観たのですが、 現地VTRだけかと思いきや、スタジオ収録にも参加していたため、 思いの外 西島さんの出演時間が長く、嬉しい誤算でした。 (久々に長い時間 西島さんを観たような気がする) それより何より、番組の本題である “ ツタンカーメンの謎 ” の解明が、面白かった! 民放ならではの過剰演出には閉口したけれど、 (同じ映像を繰り返し流して結論を引っ張ったり、大袈裟に煽ったり) ミイラの CTスキャンとか DNA鑑定には驚きました。 さらに、これまでの暗殺説を覆す新説には、感嘆するばかり。 何千年も昔の人々が、何を見て何を思っていたのか。 ロマンですなあ〜。 ちょうど先週、森美術館で開催中の 【大英博物館 古代エジプト展】 を 見に行ったばかりだったので、関心が高まっていたというのもあるんですけれどね。 これは、たまたまチケットを貰い、予備知識なしで見に行ったため、 当時のことを知っていたら、もっと見方が深まっていただろうなと思います。
サクリファイス
【タルコフスキー生誕80周年映画祭】 3作品目は、遺作となった 『サクリファイス』 驚いたのは、平日の昼間の回なのに超満員で、 通路も開放して席が埋まっていたこと! え、なんで? 夏休みだから?? でも、学生ばかりというわけではなく、 自分の年齢を基準にした時、 上の世代も 下の世代も 半々だったように思います。 さて、映画を見終わった直後の感想は、「これが遺作だなんて、凄すぎ!」 ということ。 ものすごいエネルギーを感じましたし、圧倒されました。 これまでの作品に増して長回し&長台詞で、ほとんどのシーンが数分間ノーカット。 カメラも移動しながらなので、映っていない出演者も油断ならない空気が終始張り詰めており、 まるで舞台を観ているような緊張感がありました。 エンディングで ある事件が起こるのですが、 これまた やり直しできない一発勝負の緊迫した長回しで、 遠景からパーンを繰り返す中、俳優陣の気迫みたいなものも ひしひしと伝わってきました。 ただ、「またか」 という感じですが、凄い映画が好きな映画というと それまた別の話で、 さらに この作品においては、好き嫌い以前に 大きな問題があるのです。 鑑賞後、どうもモヤモヤ感が残ってしまい、例によって WEB検索をしてみたところ、 10年前に開催された 【アンドレイ・タルコフスキー映画祭】 の解説にたどり着き、 設定や物語を半分くらいしか把握できていなかったことが分かったのです。 嫌いではないけど、好きと言ったら嘘をついてるような気がする。 冒頭の遠景長回しシーンが結構イイ感じで、 「これはイケるか!?」 と思ったんだけどなあ・・・ そして、私が把握できなかった部分を箇条書きで記録しておきます。 (ネタバレあり)
(C) 2024 ブログ JUGEM Some Rights Reserved.
|